永田町町会
永田町の歴史は、江戸時代初期に日枝神社の門前町として栄えたことに始まります。江戸城に近い立地から多くの大名屋敷が建ち並び、現在の政治中枢とは異なる、武家地として発展しました。
明治維新後、永田町は大きな転換期を迎えます。1872年(明治5年)以降、陸軍省や参謀本部などが置かれ、軍事・行政の中心地としての性格を強めました。昭和11年に国会議事堂が完成し、永田町の名実ともに日本の政治の中心地となりました。
しかし、太平洋戦争末期の昭和20年、木造建築物の強制撤去と空襲により、官邸や永田町小学校など一部を除き、町の大半が焼失しました。戦後の永田町は、焼け野原からの復興という厳しい現実に直面します。その中で、地域のつながりを守るために町会活動が重要な役割を果たしました。
永田町一丁目では昭和30年頃に「三年町町会」(昭和40年頃から永田町一丁目町会と改称)、永田町二丁目では昭和25年に「永田町二丁目睦会(昭和33年から永田町二丁目町会)」が設立し、防災・環境美化・祭礼行事などを担いながら、戦後復興とともに歩んできました。また、高度経済成長期には再開発や道路整備に伴う環境変化の中で、住民同士が協力し、伝統行事や地域文化を守り続けました。
平成に入ると、町並みはさらに変化します。平成22年夏には議員会館の建て替えが終了し、同年秋には「ザ・キャピトルホテル東急」が開業しました。
こうした中、平成23年には一丁目町会と二丁目町会が統合し、現在の「永田町町会」が誕生しました。そして平成31年春には、かつて政治家の事務所が入居していた秀和永田町TBRビルがあった跡地にAPAホテルが開業し、建物が建て代わることで景色は大きく変わりました。こうした再開発により、永田町は政治の中心であると同時に、ホテルやオフィスが立ち並ぶ都市空間へと進化しました。
令和の時代に入り、永田町は政治の中枢でありながら、多様な働き手が集う地域となりました。人口は少ないながらも、町会の役割はますます重要です。私たちは、永田町の歴史と伝統を大切にしながら、誇りある地域づくりを進めていきます。


町会長

歴代町会長
永田町町会(※永田町一丁目町会と統合)
| 初代 | 遠藤 恒夫 | 平成23年~ |
永田町二丁目町会
| 5代 | 遠藤 恒夫 | 平成18年~23年 |
| 4代 | 加賀 昭人 | 平成17年~18年 |
| 3代 | 加賀 孝徳 | 昭和55年~平成17年 |
| 2代 | 荻原 拾三 | 昭和54年~55年 |
| 初代 | 遠藤 政次郎 | 昭和33年~54年 |
永田町二丁目睦会
| 初代 | 遠藤 政次郎 | 昭和25年~33年 |
永田町一丁町会
永田町一丁目町会
| 6代 | 八橋 定 | 平成17年~20年 |
| 5代 | 伊藤 友久 | 平成12年~17年 |
| 4代 | 樋口 宗雄 | 昭和54年~平成12年 |
| 3代 | 樋口 秀康 | 昭和40年頃~54年 |
三年町町会
| 2代 | 平元 敏雄 | 昭和39年頃~40年 |
| 初代 | 柴田 武治 | 昭和30年頃~39年頃 |