町会のご紹介-平河町一丁目町会-

お知らせ一覧に戻る

平河町一丁目

 平河町の地名は麹町地区で最も古いもので、太田道灌公の時代には平川河口の城下町として栄えて平川村と呼ばれ、その場所は現在の平川門付近にあったと言われています。又、その地に平川天神社が城内より移され、慶長11年江戸城増築により再度現在の地に遷座しそれと同時に門前町も移されたのが現在の平河町の始まりです。 平河町は慶応3年当時麹町平河町と呼ばれ、一丁目より三丁目まであり、明治になって四丁目と元平河町が出来、さらに五丁目と六丁目が明治3年に生まれ、平河町は元平河町と平河町一丁目より六丁目までの七町会がありましたが昭和9年7月の区画整理により元平河町と平河町一丁目より三丁目までの各町を平河町一丁目とし、四丁目より六丁目の各町を平河町二丁目として整理統合されました。

 江戸時代、平河町一帯は武家屋敷と町屋からなり、延享2年龍眼寺(今の天神社の近くで正確な所在地は不明)が寺社奉行支配より町方に編入された為、町人の住まいが多くなり忠臣蔵でお馴染みの赤穂の浪人達が身分をかくして討ち入りを待っていたり首斬り浅右衛門の山田家の屋敷が二番地付近であったとか歴史上の登場人物が多々住んでいたと言われています。宝暦6年発刊の風俗七遊談に平河天神門前は山の手随一の盛り場で参詣人を目当ての店が今の麹町通り、西は紀尾井町まで多くの露店なども出店し相当の繁栄ぶりであった様です。

 昭和に入って、昭和9年7月の区画整理により町名変更があり四町が統合され新しく平河町一丁目町会創立となり、初代会長 梁川義雄から、井上安次郎、栗原銀次郎、和田平太郎、西村宏一、吉田一彦、和栗繫、 大平秀男、小池源朗、関口弥寿雄、そして現在は11代目吉田武久が勤めています。そして町会も今年で創立92年なります。戦後は、戦災で焼けた平河天満宮が再建され町内の家々も少しずつ建てられ昭和30年代、町内にも商人、職人、自動車工場、など多くの人が住み町にも活気が出てきて町会員数も多く、役員なども40人位おり役員会も活気がありました。

 そして昭和34年当時の四代目町会長 和田平太郎氏の時に念願の今ある大神輿を再建し祭礼行事が盛大に行われる様になりましたが、昭和39年の東京オリンピックを境に国や町の発展と共にモータリゼーションと言う名の車社会が来て祭礼行事などが規制されて来ましたが、平成になり祭りなどの伝統行事が少しずつ見直しされて来ています。又現在の町会の現状は、昭和の終わり61年のバブル崩壊後ローンや相続税の支払いそしてリーマンショックなどで地域住人の流出、又町会役員の高齢化、成り手不足のため祭りをはじめ町会行事などが出来にくくなりました。 又流出した後には事務所ビルやマンションなどが建ち新たな住人も増えましたが町会への理解、協力は得にくいのが今の現状です。

町会長

町会長 吉田 武久

歴代会長

11代吉田 武久令和5年~
10代関口 彌壽雄平成26年~令和5年
9代小池 源朗平成20年~26年
8代大平 秀男平成16年~20年
7代和栗 繁平成8年~16年
6代吉田 一彦昭和53年~平成8年
5代西村 宏一昭和36年~53年
4代   和田 平太郎    昭和31年~36年

平一自治会

3代栗原 銀次郎    昭和21年~31年
2代井上 安次郎昭和11年~20年
初代   柳川 義雄昭和9年~11年

お知らせ一覧に戻る