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内幸町町会

歴代町会長

町会長 古谷 厚史
第7代 町会長 古谷 厚史  令和3年〜
7代 古谷 厚史 : 令和3年〜
6代 黒田 元男 : 平成26年〜令和2年
5代
伊藤 敏郎 : 平成20年〜26年
4代
田中 進 : 平成2年〜19年
3代
及川 實 : 昭和55年〜平成2年
2代
大須賀 一 : 昭和47年〜55年
初代
羽田 政勝 : 昭和24年〜47年
     
     
     

新年防災餅つきまつり
新年防災餅つきまつり

町会の歩み

<連合町会創立50周年記念誌より転載> 

 ※記載内容は記念誌発行時(平成18年3月)のものです。

平成十七年三月。樋口一葉の誕生日にあたる二十五日、千代田区「内幸町ホール」の入り口横に、樋口一葉生誕地の記念碑が建立されました。ここは、かつての東京府庁舎があった場所で、一葉の父が勤務していた府庁舎の長屋で彼女は生まれたのです。
 明治政府による欧化政策により、薩摩藩邸跡に建てられた鹿鳴館はあまりにも有名ですが、外国の賓客を迎える宿泊施設として井上馨外務大臣の号令に応えたのが、大倉喜八郎が設立した帝国ホテルです。初代ホテルは角型ドームの壮麗なレンガ造りの三階建てで、二代目はかの有名なフランク・ロイド・ライト設計による、宇治の平等院鳳凰堂にヒントを得たという大谷石の荘重なデザインでした。開館直前に関東大震災に遭うものの、ビクともせず「ホテルはいささかの損傷も無し」とアメリカのライトに大倉喜八郎が打電した話は、今も語り種です。現在の高層化された帝国ホテルは三代目。このように明治の文明開化以来、時代に先駆けてきたのが内幸町です。
 また内幸町は、第二の丸の内とよばれていたように昔からのビル街でした。今、内幸町を歩いてみると、日比谷公会堂、市政調査会のほかには、歴史のなごりを感じさせる建物が見当たらなくなりました。
 内幸町町会も、平成七年頃には町会員数(企業)は四十二社ありましたが、現在は三十二社となりました。これも時代の流れといいましょうか、人が変わっても、その歴史と人々の営みは永久に内幸町に残ることと思います。
 西に港区、南に中央区(銀座)に囲まれて、境界線が内幸町一ノ七の地域高架下です(内山下高架)。上は新幹線(JR東海)、在来線(JR東日本)が走り、日本の鉄道の大動脈になっております。
 いわゆる住民はゼロで、企業の皆様に支えられているという特殊な町会ではありますが、年中行事になっております活動は下記のとおりです。

一月 新年防災餅つきまつり(第一回は昭和五十九年より、現在第二十一回です)
二月 新年役員の顔合わせ、四月 年度末役員会、五月 町会定時総会、 九月 防災訓練実施(九月九日)、救急の日、十一月 町会の研修旅行(千代田荘)

とくに防災訓練は丸の内消防署有楽町出張所の方達のご指導ご協力で実施しております。
場所は高架下です。千代田区の防災課より非常食も配られ、熱心に訓練を受けております。平成十六年の定時総会には、前及川町会長の生前からの要望でありました内幸町町会会員之証を作成いたしまして、会員にお配りいたしました。
以上が内幸町のあゆみであります。
今後一層町会は防災防犯に力を入れ、行政また各会員(企業)のパイプ役として、活動して参りたいと思います。

【特記事項】

平成十六年 六月二十六日、内幸町町名の由来板設置(内幸町一ノ一ノ三)

平成十七年 三月二十五日 樋口一葉生誕地記念碑除幕式(内幸町ホール入口)

主催 麹町出張所地区連合町会地域コミュニティ活性化事業実行委員会