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紀尾井町町会

歴代町会長

町会長 戸田 豊重
町会長 戸田 道代
第3代 町会長 戸田 道代 令和4年〜
3代 戸田 道代 : 令和4年〜
2代
戸田 豊重 : 平成6年〜令和4年
初代
福田 彰 : 昭和53年〜平成6年
     
      
      
      


紀尾井町町会公式ホームページ


町会の歩み

1 町名・町域の沿革
 紀尾井町には、江戸時代寛永年間以降、紀伊、尾張の親藩および彦根藩井伊の中屋敷があり、全体が武家地でした。

世は、明治維新と改まり、明治3年12月、今までの武家地、町地の称が廃止されました。
この地区は、麹町区麹町紀尾井町となり、明治44年5月に紀伊家、尾張家、井伊家の頭文字をとって紀尾井町となりました。

昭和9年7月区画整理が行われ、紀尾井町は、麹町五・六丁目と紀尾井町にわけられ、現在のような街の区域となりました。

昭和55年1月、「住居表示に関する法律」は、市街地における全国的な住居の表示の制度であり、安定したものなので、当時の福田 彰 町会長の尽力により「紀尾井町」の名は残り、後世に受け継がれていくことになりました。

2 紀尾井坂

紀尾井坂(2011年春)

喰違見付跡から清水後援に下る坂です。「新撰東京名所図会」には、喰違より清水谷公園の方へ下る坂を称うとあり、さらに「紀尾井坂は、紀伊家、尾張家、井伊家の三邸此所に鼎立(ていりつ)し在りしを以て名づく」と記すが、坂下が清水谷ゆえに清水坂の名称もあったと言われています。

明治11年5年14日朝、内務卿大久保利通が裏霞ヶ関から馬車で赤坂の仮御所におもむく途中、紀尾井坂の下の石橋付近(清水谷)にさしかかった際、石川県士族島田一郎ら6人に襲われ、刺殺されました。これが紀尾井坂の変です。 島田は、大久保の有司専用の弊害を改め、民会を興し、公儀をとるよう改めたいとの念願からこの拳に出たと言われています。彼等は事変後すぐに宮内省に自首し、7月、終身禁獄の刑に処されました。

3 清水谷公園
 「清水谷公園」は明治初年、参議内務卿「大久保利通公」の邸宅でした。「大久保卿」は明治11年5月14日、「西南の役」の論功行賞の勲章授与式に参朝の為、清水谷に馬車を進めた時、島田一郎他6名に凶漢に刺殺されました。享年49歳、生前の勲功により「右大臣正二位」を賜り、葬儀は国葬に準じ、青山墓地に埋葬されたと云われています。

その後、邸宅跡は東京府に寄贈され、公園になったもので、公園中央に「大久保利通公」の哀悼碑が建ち、碑面に「贈大久保利通哀悼碑」と題し、明治21年に建立されたものです。
「哀悼碑」建設の有志が前面道路舗道に記念として「八重櫻」を植えたと云われています。
これが千代田区における最古の公園です。

4 上智大学
1913(大正2)年に開学した上智大学は、日本で最初のカトリック系大学です。1908(明治41)年、時のローマ教皇ピオ10世の命を受けて3人のイエズス会神父が来日し、大学設立の準備を開始しました。その後、初代学長となるヘルマン・ホフマン師らも加わり、1911(明治44)年に財団法人上智学院を設立。この年、紀尾井町の地に4,400坪の土地を43万円で購入しました。専門学校令による上智大学は、開学の年(1913年)、15人の学生を迎えて授業を開始しました。

校名「上智」は最も高い智恵(ギリシャ語でソフィア)を意味しており、伝統的なカトリックの祈り「聖母マリアの連祷」の中にある一句、「上智の座」から取ったと伝えられています。

もっとも上智大学の源泉は、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルの行動と志にまで遡ります。1549年、日本にキリスト教を最初に伝えたザビエルは、パリ大学に学んで教授の資格を得た人ですが、日本人の優秀さと知的好奇心の強さに感銘を受け、日本のミヤコにパリ大学のような学術に優れた大学を作って、ヨーロッパと日本の間で文化・思想・宗教の交流を行うことを構想しました。360年後にこの夢を実現した大学が上智大学なのです。

5 聖イグナチオ教会(麹町教会)
 戦前の教会は、昭和11年(1936)カトリック麹町教会が下六番町(現六番町)に誕生し、「幼いイエズスの聖テレジア教会」と呼ばれていました。昭和20年5月の大空襲で全焼したため、上智大学内イエズス会修道院「クルトゥルハイム聖堂」が臨時の麹町教会となりました。

戦後、「四谷見附御門内」麹町側に昭和24年4月に「聖イグナチオ教会」(麹町教会)が建てられました、角錐尖塔鐘棲付き教会は、千代田区の西の玄関、麹町を飾るシンボルとして長く親しまれていましたが、木造のため50年余の星霜に痛み、平成10年に新たに楕円形の新しい「聖イグナチオ教会」が誕生し、鐘楼も一新しました。

6 弁慶橋

弁慶橋(2012年春)

赤坂見附外濠に架かる、疑宝珠匂欄付、京風な「弁慶橋」は明治22年、初めて木橋が架けられました。 
弁慶橋の名前は、昔、神田お玉ヶ池(神田松枝町・今の岩本町)付近の藍染川に架かっていた橋の名で、川の埋立てによって取り壊され、その廃材を使用したものです。その弁慶橋が、江戸幕府の作事御用を務めていた名棟梁「大工弁慶小左衛門」の作であったことから、その名に因んで付けられたと云われています。

昭和60年の架け替えに当たり、この歴史的にも由緒ある弁慶濠の景観にマッチするよう美観にも配慮し、意を尽くして、昭和58年10月に着工、昭和60年12月完成し、12月18日、関係者多数を招いて「開橋式」が行われた。